茶の湯日記9月

不傳庵 茶の湯日記 

世のなかの動きのなかで

遠州茶道宗家十三世家元 小堀 宗実 

 早いものでこの遠州誌がみなさまのお手元に届くころには、暦のうえでは秋ということになっているはずである。はっきりと断定できないのは、やはり天候の不順ということによる。一年一年、私たちにとっては時の流れの早さにとまどうことが多くなっているが、むしろ天候の方は涼しさや寒さより、暑さを感じる日数が増加しているといってよい。

水不足と注意を促されるのちには、厳しい雨、私の嫌いな表現であるゲリラ豪雨とか、超台風といったものがおとずれる。それは、単にやってくるというものではなく、大変な災害をもたらすことが多い。年々歳々この厳しさ、極端さが自然現象に限らず、何事についても目立つようになってきているのが現代社会である。
イギリスのEU離脱をはじめとする、自国最優先主義の世界的な現象。リーダーとなる人々の本来の姿なのか、あるいは政治的立場による主張なのかはわからないが、とにかくイエスかノーか、好きか嫌いか、という二者択一の世になっているようである。

また過激な思想や、軍事的な軋轢から生まれる紛争やテロもかなりの頻度で私の周囲を騒がしている。最近、おそろしいと感じているのは、これらのことに影響されて、無信条のままにも、多くの人々を傷つける行為をする犯罪者の増加である。二一世紀になって、こういった動きが世界中でつぎつぎと起こってしまっていることは大変嘆かわしい限りである。

 さてこういった世界の動きのなかで、日本人はどのように歩み、生きていくのか、この点については、いま大きな分岐点に建っているのかもしれない。元来、日本人の素晴らしいところ、良いところは、人の意見を聞く、つまり聞く耳を持つという部分である。しかし、誰もが人の意見に全く耳を傾けない世界でその姿勢を保ちつつ自分の立場をどう発信していくかは大変難しいことである。現代の日本は、すっかり平和呆けしてしまっていて、このあたりの感性がかなり鈍化してしまっている。

 かつては、気づく、察する、推し測るといった感性が豊かであったし、その感性がおもいやりというものに繋がっていたのであった。おもいやりの心を持てれば、おもてなし上手になれるのである。もてなされた方は、今度は自分が招くというようになってくる可能性がある。

つまり日本には、本来、さまざまなものが、行ったり来たりすることを大変尊重してきたのである。決して一方通行でない振る舞いが存在していたのだ。これらのことをもう一度総合的によく考えていくことこそ私たちの今一番しなくてはならないことなのではないだろうか。

 ここまで書けばもう私の申し上げたいことは一つ。茶の湯に親しみ、学ぶなかで、その答えをみつけていただきたたいということである。