茶の湯日記8月

不傳庵 茶の湯日記 

天空の出逢い

遠州茶道宗家十三世家元 小堀 宗実 


 いよいよ本格的な夏の到来である。先号にも書かせていただいたが、熱中症などには充分注意してほしい。茶室空間では点前座の風炉には炭が入り、当然ながらそれでもって湯を沸かしている。しかし、5月初風炉のころと、7月、8月と季節が移り変わってくると、炭のおこり方、入れ方、そしてその周辺の灰形の姿も当然違っている。初風炉では、比較的大きな土風炉にたっぷりと炭が入るように、真の灰形であるが、盛夏ともなると、風炉もやや小ぶりにして、灰も炭の周辺を囲うような形になり、風炉も切り合わせのように熱気を外に出さないようになってくる。

 このように同じ炭火、灰形、そして風炉も季節、その時々の気温などによって異なりをみせるのである。これは規則ではなく、むしろ亭主の心による工夫といってもよい。茶の湯を行なうということは、一道の形、規範にたよることが多いが、ある段階を経たところで、ご自身の考えを表していくことも大切である。

 さて去る5月29日に、備中松山城において献茶式を催した。ご承知の通り松山城のある岡山県高梁市は関ケ原合戦の後、流祖小堀遠州公が、父の新介とともに備中国奉行を務めていた由縁の深い場所である。最近は天空の山城として、日本で最も高い場所に天守閣を構えることで有名になってきている。天守に登城するには、現在も途中までは車で行けるが、最後20分弱は、徒歩で登らなければいけない。

 献茶式当日、私も徒歩で天守を目指したが、正直いって最後の500メートルくらいになるとかなり膝の方に負担がかかった。遠州公の時代は、もっと大変であったと予想されるわけで、日常の奉行職としての執務は、日常の住居も兼ねた御殿にあたる御根小屋と呼ばれる建物で行なっていた。現在は高梁高等学校として、石垣などが往時を偲ばせている。

 また、その御根小屋に移る少し前に仮の館としていた頼久寺の庭園は、遠州作庭園の代表でもある。愛宕山を借景とした蓬莱式庭園は後の遠州作庭園の最初のものであり、五月の大刈り込みはつとに有名である。

 ちょうど今回はその花の盛りに出逢うことができた。歴代の城主に対しての献茶であったのだが、ことにうれしかったのは伴頭をお勤めいただいたのが最後の城主であった板倉家の19代目の当主、重徳氏であったことである。板倉家は遠州伏見奉行当時は、勝重、重宗親子が京都所司代をつとめていた。まさに400年余りを過ぎての再会となり、この献茶式により深い意義をいただいたのであった。

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